落語用語の基礎知識
落語は古い言葉、今は使われなくなった言葉がたくさん出てきます。それを独断と偏見、
米二流解釈で解説してみました。ですから決して世間で通用するものではありません。
参考文献

 牧村史陽編「大阪ことば事典」講談社学術文庫
 前田勇編「上方語源辞典」東京堂出版
 井之口有一・堀井令以知編「京ことば辞典」東京堂出版

あ〜お / か〜こ / さ〜そ / た〜と /  な〜の /  は〜ほ /  ま〜も /  や〜ん / 
たち切れ
★ 「線香」‥‥時計がなかった時代、芸妓・遊女などが座敷をつとめる時間を、線香一本が燃えつきるまでを単位として計った。芸妓の花代を一本二本と数えるのもここから生じた。落語にはさりげなく出てくる場合がある。「けんげしゃ茶屋」「ふたなり」などでは一番短い時間を表す単位である「線香三本」という言葉が出てくる。「三枚起請」には「線香場を手伝う」というセリフがある。

★ 「雪」‥‥地歌の一つ。浮世を捨てて尼になった芸妓が、昔の恋人を忘れかねる心情を述べたもの。南地の芸妓で「そせき」という女性のことを唄っているという。歌詞の中に「もしやといっそせきかねて」と詠み込んであるというのだが…。この唄の三味線の一節を「雪の合方」として、「不動坊」「池田の猪買い」などの雪の降る場面で、はめものとして使用する。

代書
☆ 「代書屋」‥‥現在は司法書士あるいは行政書士。これではなんや分からん。代書屋の方が分かりやすい。その昔、京都市民寄席で「代書屋」とプログラムに載せたところ、司法書士、行政書士の団体から「今は代書屋とは言わない」とクレームがついたことがあった。それで落語のタイトルとしてはなるべく「代書屋」をやめて「代書」を使うんや、とうちの国宝が言っていた。やはり問題の多い落語なんですな。これも京都市民寄席で「向う付け」が出た時に「三人も字が書けない人が出てくるのはおかしい」と、同和問題を憚って役所の内部からクレームが来た。違うんですよ。昔は字がかけない人がごく普通にたくさん居た。逆に庶民でかなりレベルの高い人が居たことも事実だが、無筆の人も多かったのだ。「代書」も「向う付け」も字の書けない人が主人公。差別でもなんでもない。そういう時代だったのだ。先日、藤原正彦著「国家の品格」を読んだら、江戸時代の識字率はだいたい50%ぐらいであろうと書かれていた。

☆ 「ガタロ」‥‥本来は関西では河童のこと。河太郎の字を当てる。「代書」の中ではお聞きのとおり。

茶の湯
☆ 「乾物屋(カンブツヤ)」‥‥スーパーでなんでも買うようになって、こういう商売が分からなくなってきた。乾物屋は乾燥した食品(上方では干瓢、湯葉、高野豆腐、椎茸など)を売っていた。ちなみに米朝夫人(小米朝の母上)は大阪天満の乾物問屋のいとはん(お嬢さん)でぇ〜す。

☆ 「印籠」……テレビドラマの「水戸黄門」で葵の御紋の印籠はお馴染み。元々はその名の通り印鑑を持ち歩くものだったが、後に薬を入れるようになった。今は手に入らないだろうと思ったら、新品を10〜20万円で売っているサイトがあったのには驚いた。この落語に出てくる「印籠の水ぶくれ」とはもちろん棗(ナツメ)のこと。

☆ 「無患子(ムクロジ)」‥‥山林に生える落葉高木。種は堅くて数珠や羽根突きの羽根に用いる。果皮は石鹸に代用された。ムクと省略することもあるが、椋木(ムクノキ)とは別種。実物をご覧になりたい方へ。伏見の氣樂堂さんからいただいた物があるのでお見せしますよ。私の家まで来てください。

☆ 「宿替え」‥‥引越のこと。手元の新明解国語辞典には「転居の意の老人語」とある。お年寄りの言葉だったのです。知らなかった。でも、最近まで関西では普通に使っていたはず。関西が本拠の「アート引越センター」や「さかい引越センター」が「宿替えセンター」と改名するべきです。

☆ 「しまつ屋」‥‥節約、倹約のことを始末(シマツ)と言う。したがって、しまつ屋は節約家のことだが、決してシワンボというほどの酷いケチではない。

☆ 「糖蜜」‥‥砂糖を精製する際にできる副産物の液体。アルコール・練炭・靴墨などの原材料。

☆ 「建仁寺垣」‥‥割った竹の丸みを帯びた方を外に向けて並べた垣根。京都の建仁寺の竹垣から始まった。「建仁寺抜けてみようか蝉しぐれ」というのはうちの国宝作の俳句。この落語とはなんの関係もないけど…。

つぼ算
☆ 「水壺」‥‥昔の台所の必需品。水道のない時分、これに井戸水や水屋から買った水を入れて使った。一荷(イッカと読む。一にない。つまり前後の桶二つ分)入り、二荷入りなど大きさの違うものがあった。森前首相がその昔、大阪のことを「たん壺」と言ったことがあるが、たん壺より水壺の方が大きい。当たり前ですが…。

☆ 「一間(イッケン)」‥‥長さの単位。6尺(1尺は30.3cm)=1間。約1.82mになる。

☆ 「へっつい」‥‥かまど。鍋、釜を乗せ、下から火を焚いて煮炊きする。敬称をつけて「へっついさん」と呼んだ。京都では「おくどさん」と言う。

☆ 「三宝(サンボウ)はん」‥‥三宝荒神。仏・法・僧を守護するという神の名。人家ではかまどの神として、台所に祭るならわしとなっていた。

☆ 「布袋(ホテイ)」‥‥七福神の一つ。大きな袋をかつぎ、太鼓腹を見せている僧。高岡早紀と遊んだ男のことではない。母の実家の台所にはこの布袋さんが7つ並んでいた。その後、何処かへ奉納して今はもうないらしい。

☆ 「おやま」‥‥女郎、遊女のこと。歌舞伎の女形も「おやま」と言うが、ここでは関係ない。

☆ 「朸(オウコ)」‥‥天秤棒のこと。両端に荷物を掛け、中央を肩に当てて担う棒。「つぼ算」の場合は中央に荷物を掛け、二人で担う。

☆ 「カンテキ」‥‥七輪のこと。炭火のコンロ。我が家にも一つあるが、これはお年玉付年賀状のふるさと小包が当たったもの。差出人は仁鶴師匠。感謝!

つる
☆ 「羊羹三本」‥‥ご存じ和菓子の横綱格、棒のような甘いお菓子。以前「羊羹三本」と高座で言ったところ、「羊羹は一棹、二棹と数えるのではありませんか?」とご指摘を受けた。小学校からの親友に宇治の茶団子屋が居るので訊いてみたところ、今の菓子屋は一本、二本と数えるけど、昔は羊羹を舟に流し込んで固めて作るので一棹、二棹と数えていたはず、とのこと。やっぱり棹やったんですね。落語の場合、「三棹」より「三本」のほうがずっと言いやすいのでこれからも「三本」と言わせてもらうことにする。
天狗さし

☆ 「念仏ざし」‥‥物差しの名前。京都五条辺りに店があった。名前の由来には二説ある。五条坂の近辺の竹を材料に使っていた。ここは西本願寺さんの大谷本廟が近い。年中お念仏を聞いて育った竹を使うからというのが一つ。伊吹山から掘り出したという念仏塔婆には寸法が刻んであった。それを元にして作った物差しだからというのがもう一つ。どちらにしても竹の物差しを見ることは少なくなった。チャンバラしたい……。

☆ 「鳥黐(トリモチ)」‥‥モチノキ、ヤマグルマなどの樹皮を突き砕き、繊維などを水で洗い流して製した粘り強いもの。鳥、虫などを捕まえるのに用いる。

☆ 「鳥刺し」‥‥竹竿の先端に鳥黐を塗り、小鳥を捕まえること。また、捕まえる人のことも言う。

田楽喰い
★ 「薦(コモ)」‥‥植物の菰(コモ)を使って荒く織ったむしろ。今は藁を用いる。こもかむりとはこの薦で包んだ酒樽のこと。パーティー等で景気づけによく積み上げてあるが、あれは空っぽ。騙されないように。

★ 「坊主持ち」‥‥何人かで歩いている時、一人に荷物を持たせて、坊さんと出会ったら交替する。今の世の中、そんなに坊さんと出会わないので廃ったのかも? うちの近所は坊さん多いですよ。知恩院に南禅寺……。坊主持ちするとせわしないせわしない。

★ 「味噌をつける」‥‥しくじる。面目を失う。「味噌の味噌臭いのは下品」ということから出た語。

★ 「金神」‥‥陰陽道で方位の神として畏れられた神さま。金神七殺と言って、金神の遊行する方位を犯して土木、移転、嫁取りなどをすると家族七人に祟って殺されるという。家族が七人に満たない場合は隣人にまで及ぶ。怖い怖い神様です。

時うどん
☆ 「時うどん」‥‥この噺、「時うどん」と書いたり「刻うどん」と書いたり、はっきりしない。いつだったか、うちの国宝が「刻」やったら「きざみうどん」やがな、と言ったので、私は「時うどん」を採用している。れっきとした江戸時代の噺。どうがんばっても24時間制ではこの噺はできない。ちなみに東京では「時そば」。演出はかなり違うが、故吉朝兄が「時そば」をうどんに置き換えて「時うどん」としてやりだした。それから上方にも2つのヴァージョンの「時うどん」が存在する。

☆ 「時の数え方」‥‥「一時(イットキ)」は今の2時間に当たる。「半時(ハントキ)」が1時間、「小半時(コハントキ)」が30分。数え方は九つ(0時)から始まって、八つ(2時)、七つ(4時)、六つ(6時)、五つ(8時)、四つ(10時)まで行って、また九つに戻り、一日で二回りする。数が減っていくところが憎たらしい。三つ、二つ、一つという呼び方はない。しかも六つは日の出日の入りを基準にしているから、夏のお昼の一時は非常に長かったし、夜は短かった。他に十二支での数え方もあった。これも2時間毎で子(ネ)は午前0時、午(ウマ)は午後0時(正午)である。当時の人々はこんなややこしいのん分かってはったんでしょうか?

道具屋
☆ 「鯉の滝登り」‥‥黄河の上流に激流があって、鯉がここを昇り切ると竜になれると伝えられている。「登竜門」という言葉もここからできた。転じて立身出世の意味としても使われるようになった。

☆ 「粟穂にウズラ」‥‥粟は五穀の一つで古くから重要な食料であった。最近「五穀○○」「穀物○○」などの商標で他の穀類とパックで発売されていて、お米に混ぜて炊くようになっている。うちで使っているものは、「大麦、もちきび、もちあわ、アマランサス(これが訳分からん)、いりごま」が入っている。体に良いらしい。おかげで私は健康。粟は現在、鳥の餌としても売られている(私は鳥かいな?ま、酉年やけど)。穂は大きいものは40cmにもなるという。ウズラも食べに来たのだろう。私は残念ながらまだ「粟穂にウズラ」という図柄は見たことない。

☆ 「谷文晁(タニブンチョウ)」‥‥1763〜1840。江戸後期の画家。江戸生まれ。初めは狩野派の絵を学んだが、南宋画、北宋画、西洋画にも精通していた。画壇の大御所的存在であるらしいが、私はこの人の名前を落語の「道具屋」で初めて知って覚えた。

胴乱の幸助
☆ 「胴乱」‥‥革製の四角い袋。薬、印、煙草、銭などを入れて腰へ提げる。肩から掛ける物もあった。要するに小さいカバン。割木屋の親父は腰に大きな胴乱をぶら下げていたという設定で演じることもあった。

☆ 「お半長」‥‥歌舞伎、文楽の「桂川連理柵(カツラガワレンリノシガラミ)」の主人公、信濃屋のお半と帯屋長右衛門の二人のこと。男女が主人公の場合、二人の名前を芝居の通称として使うことがある。「梅川忠兵衛」「小春治兵衛」「お初徳兵衛」「三勝半七」「大助花子」……これは夫婦漫才。このギャグ、うちの国宝がよく使ってます。「桂川」の場合、お半と長右衛門なので「お半長右衛門」。これを略して「お半長」と言う。これらはみんな悲恋物語で心中してしまう。大助花子さんは……お元気です。

☆ 「柳馬場押小路」‥‥京都の地名。具体的に言うと南北の柳馬場通は河原町と烏丸のほぼ中間、東西の押小路通は御池の1本北の道。現在、茨木屋という蒲鉾屋さんがある。明治6年からここで営業しているので「胴乱の幸助」の時代にはすでに茨木屋はあったのである。ここのちょっと西に「帯地卸」という看板が出ていることを私は最近になって知った。

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