2002-04-19
 サロマ珍道中.doc
 
もう一ヶ月も前のことになりますが、サロマ湖で有名な北海道佐呂間町へ行って来ました。上方落語の佐呂間初乗り込みでした。

友達の妻の友人が佐呂間の酪農家(鎌野さんという)へ嫁いでいます。彼女が佐呂間町の教育委員会へ働きかけてくれて、昼夜2回の落語会が実現する運びとなったのです。メンバーは噺家が米二、む雀、紅雀の3人。それにお囃子の I さん(女性)を入れて計4人で行くことになりました。

私の仕事はまず飛行機のチケットを手配するところから始まりました。出演料の中に交通費等を含むという約束です。なんとか安い切符を手に入れねば…。

佐呂間へ行くには、関西空港から女満別へ向かいます。ここは日に1往復しか飛んでいないので、前の日から乗り込むことになりました。旅行会社から料金を聞いて驚きました。35,800円なんですと! 思わず「往復ですか?」と聞き返したぐらい…。ニューヨークの方が安いそうですな。結局、この35,800円の航空券を8枚購入することとなりました。合計286,400円。ギャラがだいぶ減るがな。4人ではなく3人にしといたらよかった…。

北海道はまだ寒いと聞いていたので、しっかりとセーターにコートで決めて出発しました。鳴り物(太鼓)や舞台衣装など、荷物をわんさと持ってウロウロ、ウロウロ。関空へ着く頃には汗びっしょりでした。女満別空港へ着くと、辺りはまだ銀世界。さあ、コートの出番。オホーツク海の水平線近くにはかすかに流氷が見えます。この日は快晴でした。迎えの車に乗り込むと、暖房が効いているところへ遠慮なく太陽光線が差し込む。暑いの暑ないの。コートはおろかこれではセーターも要りまへんわ…。

その夜、落語会の仕掛人、鎌野さん夫妻にご馳走になりました。オホーツクの海の幸を前にして、我々一行は歓喜の声を挙げ、お酒をいただきました。そしてサロマ湖が見えるホテルに泊まって、次の日に備えたのです。星が見事に綺麗でした。

朝、目を覚ますとサロマ湖は一面の氷に包まれています。湖が見える露天風呂に入り、英気を養いました。

そして本番。佐呂間の人たちに温かく迎えられて、落語会は無事に済みました。もはや言葉の壁はないと言っていいでしょう。日本では…。大阪弁はちゃんと理解してもらえました。私も昼夜で4席しゃべったのですが、疲労感よりも満足感の方がはるかに大きかったのでした。そして、その夜はスタッフの皆さんに焼肉をご馳走になりました。

次の日、飛行機まで時間があるので、鎌野さんにサロマ湖畔の漁師さんのお宅へ案内してもらいました。サロマ湖は凍っているので、漁船はみんな陸に上がっています。台の上に乗って、宙に浮いている船の前で写真を撮りました。横を見るとスノーモビルが置いてあります。これがサロマ湖の上を疾走している姿を何度か見かけました。これにまたがって写真を撮っていると、漁師の大将が、乗せてあげようと言ってくれました。

嬉しいのですが、ちょっと怖くもありました。というのは気温です。北海道とあまり感じないほど暖かかったのです。厳寒の中、バシバシに凍った氷上なら問題はないけど、こんなに暖かいのに氷は大丈夫なのかしら? 岸壁近くの氷はすでに溶け始めていて、上に乗るとユラユラ揺れます…。

そこはプロの漁師さんが大丈夫と言ってくれたので、まず紅雀君と私が乗せてもらうことになり、漁師さんの後ろに座りました。スノーモビルは走り出しました。運転の操作はオートバイとよく似ているそうです。とにかくすごいスピード感。少し走ったところで大将は、「紅雀さん、運転してみる?」と言いました。当然、紅雀君は断わるものだと思っていたら、彼は「そうですか…」と言ってハンドルを握ったではありませんか。この瞬間、私は恐怖のどん底に突き落とされたのであります…。

「おい、ムチャするな」と言ってももう遅い。紅雀はふだんからオートバイに乗っているので大丈夫…。いやいや、一ぺん大きな事故を起こして死にかけてるがな…。サロマ湖の氷は魚を取るためにあっちこっちに穴が掘ってあるんやぞ。はまったら冷たすぎるやないかい…。いろんなことを考えているうちにスノーモビルは紅雀がハンドルを握ったままスタートしました。彼はゆっくり走るものと思っていたら、スピードは60kmから70kmに達していました。速いの速ないの…。そのスピード感は車の比じゃありません。いつの間にか乗ったところが見えないぐらい遠くまで来ていました。生きた心地がしないというのはこのことでしょう。もうどんなジェットコースターも怖くない。私は「紅雀のアホ、覚えとけよ!」と言うのがやっとでしたが、彼の耳に届いたんやろか?。

戻ってきて陸へ上がっても足の震えは止まりません。次にむ雀君と I さんが乗せられて消えて行きました。私の耳には I さんのキャーキャー言う声しか聞こえません。

この時、紅雀のアホが「怖かったですねぇ」と他人事みたいに言ったのです。そこで初めて聞いたのですが、彼はハンドルを持っていただけで、運転していたのは後ろから手を伸ばした大将だったと。つまりスピードを出していたのはプロの漁師さんだったのです。それを先に言え、ちゅうねん!

結局、落語よりスノーモビルの思い出が強烈に残った佐呂間珍道中でありました。佐呂間の皆さん、どうもありがとうございました。