2003-01-13
 焼き芋屋
 
昨年暮れのことでした。その日は仁智兄さんが世話役をしておられる京都烏丸五条の「養蓮寺寄席」でした。打上げでご馳走になったあと、私は人通りのない河原町通を南から北へ歩いていました。私は気分の良い時とお金のない時は酔っ払っていても歩くことにしています。その夜はどちらも条件が当てはまっていたので歩いておりました。

「ピーーーッ」

焼き芋屋さんの軽トラが停まっていました。するといきなり、

「兄ちゃん、ちょっと頼まれてくれへんかな」

と焼き芋屋のおっちゃんが声をかけてきたのです。「バッテリーが上がってしもたんや。ワシ、後ろから押すさかい、兄ちゃん運転席に座ってエンジンかけてくれへんか」と言ってます。兄ちゃんと呼ばれる年でもないな、と思いはしたのですが、要するに軽トラのエンジンをかけるのを手伝ってほしいと言うのです。ずっとアイドリング状態にしていたら、止まってしまったらしい。フーン、アイドリングだけでバッテリーは持たんのやな、と妙な感心をしていたのですが、おっちゃんはそんな気楽なこと言うてる場合やないちゅう顔をしてはります。

これ、後ろから軽トラを押してくれ、と言われたのなら即座に逃げてました。ワシが押すと言うのです。酔った勢いもあって、衣装カバンを放り出すと私は運転席に座ってました。これって、ホントはヤバイですね。

河原町通は南に向かうとほんの少し下っています。けど、体感的には平坦と思ってよいでしょう。おっちゃんは必死になって、後ろから軽トラを押してきます。私は一生懸命、クラッチを合わせてエンジンをかけようとしてます。普段はオートマチックの車に乗っているので、クラッチなんか踏むのん何年ぶりやろ、とへんなことに感動している自分もそこに居りました。

けど、エンジンはかかりません。全然スピード上がらへんもん…。何度も試みたのですが、所詮無理です。私はそれよりも道路に放り出した衣装カバンが気がかりです。あー、だいぶ離れてしもた…。

「おっちゃん、これあかんで。JAF呼ぶ方が早いのと違うか」

「そんなこと言うたかて、JAF入ってへんがな」

もう、こんな商売してて入ってへんのかいな。ワシら噺家でも入ってんのに。

「オレ、入ってるさかい呼んだるわ。こうなったら乗りかかった船や。オレの会員証使うたらええがな」

「えらいすまんな」

おっちゃんの言葉はぶっきらぼうでしたが、その目は感謝してくれてました。そうなんです。JAF(日本自動車連盟)の会員なら、こんなんはタダで来てくれるのです。私はJAFに入会してもう26年になりますが、最近は全然あのレッカー車の世話にはなっていません。年間4,000円の会費はドブヘ捨ててきたようなもんです。どんな形でも使えたならけっこうなことじゃないですか。

JAFに電話したら、30分ほど待ってくれとのこと。そろそろ日付が替わりそうでしたが、おっちゃんと二人で歩道に腰掛けてレッカー車を待っていました。気をつかってくれたのか、アツアツの焼き芋を出してきて、半分に割って私にくれました。寒い夜、おっちゃんと二人並んで焼き芋を食べました。やっぱりホッカホカの焼き芋はしこたま飲んだ後でもおいしかった。

「おっちゃん、やっぱりこんなホッカホカは家ではできひんで。たいしたもんやな」

今はこっちの方が強い立場に居るのに、なんでオレはベンチャラを言うねん?

「いや、そやけどな、今日の芋は水っぽいねん。あんまりええ芋と違うねん」

おい、味に自信ないんかいな。気の弱いおっちゃんやな。しかし、家でもできると教えてくれました。

「土鍋に玉砂利を敷いて火にかけたら、家でもうまいのができるで」

なるほどと思いましたが、玉砂利なんかうちにあらへんがな。それにしても不景気や、なんか言うてるうちにJAFが来てくれました。バッテリーを繋ぐとすぐにエンジンは動き出しました。

「もうバッテリーは寿命ですからなるべく早く交換してください」

そう言い残すとJAFの兄ちゃんは去って行きました。芋屋のおっちゃんは、「えらい世話になったなぁ。ほんの御礼のしるし、土産や。取っといて」と言うと、焼き芋を袋に入れて、無理やり私の衣装カバンに押し込んできました。ま、おっちゃんの気持ちということで素直にいただくことにしました。

ちょうどその時、お客さんが来たのです。焼き芋を買いに。まだ若い兄ちゃんが。それを見た私が思わず、

「いらっしゃいませ!」

いつから芋屋になったんや、オレは? でも、他人事とは思えませんでしたな。例え少しでも売れてよかった。それを横目に見て、私は家路につきました。ぬくぬくの焼き芋を土産に。

家へ帰って衣装カバンを開けてみると入っていました、焼き芋が。たった1個。おい、1時間も付き合わして1個かいな。噺家も世間も不景気なんですなぁ…。