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1978-12-24
「とにいじゃっく」の面々。昔、この3人で会をやってたこともありました。右から都丸、雀々、米二。
1979-11-14
武庫之荘の旧米朝宅。この家で3年間内弟子として過ごしました。ケンとメリーのスカイラインは米朝家の最初のクルマです。私はこれを運転して米朝の初代運転手を務めました。このクルマ、パワステが付いてなかったのでハンドルが重いのなんの…。
1980-01-29
札幌雪祭りが始まる数日前の様子。もうほとんど出来上がっていて自由に見ることができました。
1982-01-17
雪の深い北海道函館本線、小沢駅のホームにて。小柄な女性はお囃子の徳永はる師。右端はわかりにくいけど吉朝兄。
1982-05-18
この写真を見て唖然としました。生きてるのは私だけ。どこかのスナックでの風景です。左から喜丸、歌之助、吉朝、米二。
1982-12-02
ハワイツアー、ホノルル観光。「おい、こっち来てみい、えらい風が吹いてるわ」と言った米朝の声に応えて側へ行ったのは私だけでした。
1982-12-02
お客さまも交えての記念写真。当時、20万円ぐらいのツアーだったと思います。1ドルは250円というレートでした。
1982-12-05
ホノルルから北のほうへ向かいました。植物園みたいなところ。このとき、誰が言うたか忘れたけど、「パン食べるような鳥、強いはずあらへんがな」。こんなしょうもないことで大笑いしてましたね。
1983-08-22
祇園のお茶屋さんで。昔はよく連れてもらいました。
1984-01-01
一門そろっての初詣。1999年までは毎年行なわれていました。
1984-04-22
米朝一門の落語に出てくるお医者さんと言えば「小林先生」。それはこの方です。ネクタイを締めた紳士、外科の先生でした。うちの師匠の義弟に当たります。もっと長生きしてほしかった人です。
1984-12-11
お囃子の森キヨ子さんと。吉朝兄が亡くなる数日前にこの方も亡くなりました。
1985-01-03
御大二人に挟まれて。
1985-07-18
開演5分前から打つ二番太鼓。枝雀師匠はいつも大太鼓を打つのを楽しみにしておられました。
1986-07-12
桂吉朝高野山ツアーにも参加しました。大雨でした。歌之助兄が参加したからかな? 浴衣で立っているのは左からハラダ先生、ヤマモト先生。二人とも歯医者でヤマモト先生は現在、私の主治医です。
1986-09-01
朝日放送テレビのロケで隠岐へ。米朝の珍しいジーパン姿。右端はアシスタントの吉野みどりさん。
1988-10-13
松葉兄の写真はほとんど残ってません。松枝兄さんはもうちょっとあります。
1988-12-18
楽屋で宮川左近ショーのリハーサル。「おれんじ寄席」はいつも年末だけ趣向をして楽しんでました。
1989-01-01
恒例正月の初詣での集合写真。
1989-09-24
若柳臣流の踊りの会で「勧進帳」をやりました。会場は国立文楽劇場。私は義経四天王の駿河次郎です。楽屋廊下にて。
1989-09-24
弁慶は小米朝(現米團治)君。勧進帳読み上げの場面です。
1989-09-24
富樫に見咎められて四天王が詰め寄るところ。四天王は左から米二、小米、千朝、米左のすばらしい面々。
1989-09-24
義経はママこと米朝夫人、若柳吉古錦(きちこきん)さんです。
1989-09-24
小米朝弁慶、まだ30歳です。石投げの見得決まってます。
1989-09-24
大詰め、延年の舞です。富樫は若柳臣流家元だった故若柳臣之助師匠。